末永 史(aya) の 銀座happy walk
2003年に作ったMY.HP「ayaの銀座HAPPY WALK」が不調になったため、 このブログを開店しました、ヨロシク !
2014年9月20日土曜日
帰りはミラノから成田まで直行便、アリタリア航空美味しかった
行きのエールフランスに比べて、ぐっと垢抜けなくなる客室乗務員。でも、親切でした。
機種は、ボーイング200と300の違いだけのはずが、こちらの方がずっと新しく快適でした。機内食も美味しくて、あっそうか、とパスタについてピンとくるものがありました。疲れている帰路が直行便というのは嬉しいものがありますが、やはり行きが直行便の方が、少しでも旅が楽になるかなと思います。帰ってからの休息時間がとれない人は、また別でしょうが。
家族旅行がかけがえのない体験に思えるのは、それだけ年を重ねたってことかな。あー、楽しかったです。
ネットで予約した最後の晩餐を見て、夜はhotelで教えてくれた近くのレストラン
イカ墨のリゾット、こんなに美味しいものとは。本場の人気レストランが、私の初イカスミ体験。
25分が、決められた鑑賞時間。フレスコ画なので、このミラノ・グラッチェ教会でしか見れないのだ!これは写真
とうとうイタリー最後の夜、教えてもらったレストランに行ったはいいけど、メニューはイタリー語と英語。
3人でメニューを手にしたまま、固まってしまうのです。日本のファミレスみたいに、写真でもついててくれればどんなに楽でしょうか。でも、あんまり明るくない店内に、よく見えない細かい言語・・。勘で頼んで、半分は外れた・・・。周りの人の料理をキョロキョロ眺めて、ひそひそ推測する日本人観光客でした・・・。
最後の晩餐、とっても綺麗でした。キリストの顔が、女みたいに優しいので驚き。キリスト教について無知な自分を知りました。
お洒落なパークハイアットの朝ごはん、ハムだけでも10種類近く。野菜も色々、フルーツもふんだんに
グリーンティーをお願いしたら、こんな土瓶に茶碗のセットが。お茶は珍妙な味。本当に日本茶か?外人は結構飲んでいた
イタリーに限らず、ヨーロッパはハムやソーセージがどかっと出てきて、どれも美味しいのでうらやましいです。
このhotelは、朝食に様々な野菜も出て、サラミや生ハムも美味しく、チーズもパンもケーキも全て食べたかったけど、体調も考えて、ぐっと我慢しました。
さすが、ミラノのドゥーモは物凄い規模で、キリスト教の力を見せつけます
ドゥーモの中は、外見に劣らずどっしりと荘厳で、祈っている人々もたくさんいました。「うわぁーー」という感嘆詞がでます
翌日、朝一でドゥーモの屋根に登りました。それぞれ尖った塔の先には、偉人らしき像がのってミラノを見下ろしている
どこかのシスターも見物にきていました。どこから来たんでしようか、聞けばよかった・・・・・・
ドゥーモに朝一番で行くと、屋根も静かでした。それぞれ尖った上に据えられた偉人像は、ミラノの街を四方八方に睥睨し、「わしらに逆らったらバチ当たるから!」と脅かしてるのか、「ミラノ市民が幸せでありますように」と祈ってるのか。まあ、魔除けって感じでしょうか。
2014年9月16日火曜日
ミラノに到着、ドゥーモのすぐ近くのパークハイアット・ミラノに二泊
ミラノ・ガリバルディ駅に、一時間半で到着。暑いし、人はたくさんいるし、混んでるし、フィレンツェはのんびりしてたかも
これが有名なドゥーモです。4時を過ぎているのに、明るい空。何ていうか、派手な建物です。キリスト教って・・・・
ミラノも、ますます観光客が多くて、期待していたミラネーゼとか全然お目にかかれないまま、hotelに直行。休むまもなくドゥーモ周辺に繰り出しました。ドゥーモの入口は兵隊さんみたいな人が、荷物チェックするんです。
ミラノに列車イタロで行きたかったが、フレンチャロッサを予約してしまう
最新の高速列車「イタロ」、フィレンツェの中央駅を行ったり来たりして、やっと予約した列車に乗れる。
個人旅行の疲れる所は、何もかもが初めてのため、必要以上に探し回らねばならず、すごく歩いてしまうことです。
列車の予約も、ネットでやれたのですが、それが実際に有効なのか自信はあるような、ないような。でも、フレッチャロッサの一等は思いのほか快適で、向かい側にはドバイからきた大金持ちらしいfamilyが座って、びっくりでした。
「プラダ」だの「ロロ・ピアーナ」だのの大きい買い物袋を下げている御一行様で、中国軍勢に負けてないドバイの大金持ち黒ベール家族様。我々落日の日本人は、ひっそりと隅っこに静かにしているしかありません。
ミケランジェロの彫刻は、赤ん坊まで筋肉隆々としていると秀雄さんは言った
まだまだ見足りないフィレンツェの美術品たち、またいつか再訪してゆっくり見たいと、みんな思っているかも。
このモノクロの肌合いって、藤田嗣治の絵を連想してしまいました。
小林秀雄は1950年頃ヨーロッパを旅行して、イタリーには一か月ほど滞在しています。「近代絵画」という著書をそのあと書いたそうです。読まねば。
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